教育勅語について

我が家の前の道路は、小学校の通学路です。4月になりピカピカの1年生が、みんなと一緒に登校しはしめました。我が家の2階の孫にも、そのピカピカの1年生がいます。当初1週間ほど、登校は父兄と上級生と一緒の集団登校、帰りは先生と一緒に下校です。嫁から、あの人が校長先生と教えてもらいましたが、70歳の私から見れば「若いお兄ちゃん」という感じがしました。私の小学校の卒業時の校長先生は、年配でひげをはやした風格のある先生でした。
 大阪の二女の男の子は、小学4年生。孫はやっと男の先生になったと喜んでいましたが、私の娘いわく、その男の先生は、去年学校を卒業したばかりで、何か頼りない感じがするし、「好きな食べ物はスイーツで、趣味は、美味しいスイーツを食べながらおしゃべりすること、なんだって」、と電話で話していました。「スイーツ男子」という言葉があるようです。
北九州の長女宅の長女は、高校2年生となり、ワンランク上のクラスを目指していたけど上にいけなかったそうで、成績により、クラスが変わるというのもずいぶんコクな話という感じもしましたが、受験戦争は私たちも通って来た道。大いに揉まれることも、大事なことと思ったものでした。

さて、先日、東京新聞を見て「やっぱり」と思いました。安倍流教育改革で、ますます現場が疲弊し「よい先生が消える」という見出しでした。それは、第一次安倍内閣の改正教育基本法では手ぬるいとした安倍首相が、愛国心をさらに強調。 「お国のために」の洗脳を、次々と進めているとの記事でした。沖縄の竹富町の教科書問題。この育鵬社の教科書をつかっている横浜市のベテラン教員は、「政府が進めるこの教科書は、改憲を誘導し、お国のために立派な国民になれと、マインドコントロールをしようとしているようだと」、批判していました。
政治が教育に介入しては、現場が大変です。ちいさな規模の学校ほど、教員が少なく、負担が大きい。とりわけ若い教員は雑務を押し付けられやすく、教科書を研究したり考えたりする余裕をなくし、国が強要する教科書通りの授業をやらせようとしている。これでは、安倍流教育改革の行きつく先は、公立学校から良い教員が消える、あるいはマニュアル通りの教員ばかりになるという記事でした。
安倍首相の盟友下村文部大臣は、「教育勅語」の復活を目指しているようです。
戦後何度も「教育勅語」の話が浮上し、東郷平八郎が登場したりしました。    戦前、教育勅語を暗記させられた人の中には、あれは良かったという人が何人もいます。確かに、親に孝行、兄弟仲良く、夫婦相和は、良いのですが、最後で「一旦緩急あれば義勇に奉じ」、つまりいざまさかの時には、お国のために進んで戦争に行けというものです。

日本の戦国時代には武士が群雄割拠して、戦争の繰り返しでた。今の日本国内でたとえば、東京都と千葉県が境界争いで武器を持って戦うなんてことは考えられません。話し合いかどうしても決着しなければ、裁判で決着を図ればよい訳です。
世界各国でも、もう少し時間が必要かもしれませんが、話し合いで解決する努力を重ねれば、戦闘機やミサイルも必要なくなります。政治家は、人間の命を大切にすべきですし、外国との戦争ばかりを考えず、世界各国がともに助け合う努力が必要です。
そして我々も、政治に無関心であってはならず、どうあるべきかを考え、発言し、我々が、政治家を動かしてゆくことが大切です。

超格差社会がどんどん進展していますが、我々自身も、「自立自助」を忘れず、困難な社会を生き抜いて、次の時代にバトンタッチして行く必要があると考えています。

◆教育勅語 軸物3点 額1点
 教育勅語図解(大正6年大日本国民教育会・表層の部分切れ・補修)
 漢文掛け軸(桐箱・玉渚宮松茂書)
 御勅語(桐箱入り・横長) 
 額入(40×68センチ)
合計で、38,800円です。どうぞ、よろしくお願い致します。

 

 

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2014.5.14