第二次世界大戦中の知られざる活動 ドキュメンタリー映画「ウォーナーの謎のリスト」を見て

 

 

 

 

 

第二次世界大戦中の知られざる活動

 

ドキュメンタリー映画「ウォーナーの謎のリスト」を見て

 

                    三世房(サンゼボウ) 市 川  均

 

ウォーナーの謎のリスト ~日本を愛した男たちがいた~という、ドキュメンタリー映画が完成した。

 

私は、2年ほど前、金髙謙二監督の前作「疎開した40万冊の図書」を、練馬のココネリで上映されたときに、見ることができた。(練馬の区立の複数の図書館が合同で主催)太平洋戦争時、東京が空襲になるというので、大八車やリュックに詰めて、人力で40万冊もの本を疎開させた時の記録映画だ。この映画を見て私は、古本屋としてもっと本を大切にしなくてはならないとつくづく思い知らされたものでした。 

今回の映画に関連しては、以前から、第二次世界大戦時、アメリカ軍は、金沢、京都などの由緒ある建造物は爆撃を避けたとか、神保町の古本屋街も同じように空襲を避けたというような話は聞いていた。今回は、このアメリカ軍の日本爆撃の真相に迫った作品である。 

第二次世界大戦中、日本の文化財を救おうとした外国人、一人は、アメリカ人美術家ランドン・ウォーナー。彼は日本において空爆すべきでない151か所のリスト「ウォ-ナーリスト」を作成した人物。もう一人は、親日家のロシア人セルゲイ・エリセーエフ。夏目漱石の門下で、神田神保町が空襲を受けなかったのは、彼の関与によるものとされる。彼らの行動を中心に、当時の状況を積み重ねていった作品である。 

国内外で広範な取材活動をされ証言を集めて映画を造り上げて行き、真相に迫っている。ウォーナーの息子カレブ・ウォーナーは、米軍の戦略的爆撃と無差別爆撃法について「父は、標的は選んで爆撃すべきだとアドバイスしていた」と証言。セルゲイの義理の娘・歴史学者ダニエル・エリセーエフは、父について「彼の頭の中では、戦争に導いた軍国主義者と日本国民を混ぜてはならないという意識があった。」と証言している。 

ウォーナーとイェール大学教授朝河貫一が組んで、戦争回避のための大統領から天皇への親書を創案したが、親書が天皇の元に届いたのは、1941年12月8日午前3時であったこと。 さらに、エピソードとして、吉祥寺の藤井書店の初代が招集された岩国で、本好きで神保町に毎日通ったという上官に出会い、彼一人だけ戦地への出兵を免れ、生きて帰れたという話も紹介されている。 

創作意図として、金髙謙二監督は、次のように書いている。少し長いが引用させて頂く。 

「戦争は狂気である」我師、新藤兼人はこの言葉を腹に据え100歳まで映画を撮り続けた。2001年3月、タリバンによるバーミヤン遺跡の大佛破壊、2015年2月、過激派組織IS(イスラム国)によるユネスコ世界遺産登録されている古代ローマの首都ハトラの破壊。戦争は殺戮以外に人間の尊厳となる文化遺産をも破壊し続けてきた。異国の文化とは言え、人類共通の財産のはずである。 

  この題材を通して、第二次世界大戦中に日本の文化財保護のために奔走した人々の想いの一端にふれてみたい。彼らは単に文化財だけを救おうとしたのか?それは人間を救うことにつながらないのか?そして、戦争回避につながらないのか?(中略) 

  文化財は、人類誕生600万年のDNAが受け継がれた結晶である。その国の文化財の中には、人間の歴史、生活、生き方、考え方すべてが詰まっている。文化を残すとは、人類の叡知、そして心を後世に継承することだと思う。 

前作「疎開した40万冊の図書」にも沢山の古書店同業者の名前が登場したが、今回も 

前述の藤井書店さん以外に八木書店、小宮山書店 中尾書店、キクオ書店 板橋書店 氷川書房、北澤書店 の皆さんが登場している。 

さて、ウォーナーやエリーセーエフらの活動が、実際どの程度、アメリカ軍の戦闘行為に影響を与えたのか、与えなかったのか それはこの映画を見て究明して頂こうと思う。 

いずれにしろ、文化財を破壊し、人命を奪い、歴史を抹殺する戦争という行為は、あってはならないものである。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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